NHKの「サラメシ」と云う番組で、様々な働く人の昼食が紹介されています。
「昼食から働く人の今が見える」と云うコンセプトで、ランチに隠された仕事へのこだわりや感動を中井貴一の語りで、エピソードなど、愛妻弁当あり、こだわり外食あり。
先日は向田邦子さんの若き編集者時代の昼食のミックスサンドイッチ、禅寺で修行中の二十歳代の若者たちの食事などでした。
特に禅寺での食事を若者が自分達で作り、座禅の場所で作法に則り食事をする様は感動させられました。

京都には禅宗の大本山の臨済宗・ (南禅寺 相国寺 妙心寺 建仁寺 大徳寺 天龍寺) と・黄檗宗のお寺があります。

この度は黄檗山萬福寺をご紹介。
萬福寺は1661年に中国僧隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって開創されました。
禅師は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省福州府福清県にある黄檗山萬福寺のご住職をされていました。その当時、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
その後、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改宗し現在に至ります。日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。

萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚なども隠元禅師が来られてから日本にもたらされたものであり、当時江戸時代の文化全般に影響を与えたといわれています。 中でも中国風精進料理である「普茶料理」は日本の精進料理(禅僧が日常食する質素な食事)とイメージが異なっています。見た目も美しく盛りつけられる料理の数々は、高タンパク・低カロリーで栄養面にも優れ、席を共にする人たちと楽しく感謝して料理を頂く事に普茶料理の意味が込められています。

一度如何でしょうか!

黄檗山萬福寺門前に普茶料理の白雲庵があります。

万福寺(まんぷくじ:萬福寺)は、黄檗宗大本山の寺院。
山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来。

1654年に、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や、徳川四代将軍家綱公の尊崇を得て、1661年に開創され、1679年にほぼ完成したとされる、日本三禅宗のひとつ黄檗宗の大本山です。

建築、仏像などは中国様式(明時代末期頃の様式)でつくられ、境内は日本の多くの寺院とは異なった空間を形成している(禅宗伽藍配置)。
寺内で使われる言葉、儀式の作法なども中国式。

隠元書道の達人でもあり、新しい禅がもたらされただけでなく、さまざまな中国文化が日本にもたらされた。
隠元の名に由来するインゲンマメのほか、孟宗竹、スイカ、レンコンなどをもたらしたのも隠元だといわれています。

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